社会保障の将来像とスウェーデンの事例と、大学生(山田さん)の感想

少子高齢化、年々爆増する福祉費。国の年間国家予算は1/3が借金。
このままの爆増状態を安易に続ければ、社会保障財源はすぐ底をついてしまいそう、という誰でも分かる日本の状況が常に頭にあります。

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今後の日本の社会保障のあり方を考える場合、この話は避けて通れない。
是非若い人にも考えて頂こうと、下記の記事を共有したところ、1人の学生が熱い感想を書かれていてご紹介します。

スウェーデンにはなぜ「寝たきり老人」がいないのか
現代ビジネス 2015年09月27日(日)

スウェーデンの高齢者は、何より本人の意思が一番に尊重される。散歩に出る場合、どうしても一人で散歩したいという人がいれば、家族の同意のもと、許可する。それで本人が事故に遭ったとしてもあくまで自己責任、施設の責任が問われることはない。

ベッドにしばりつけるようなこともありません。私たちが行うのは介護であって拷問ではない。
8割以上が認知症でも、寝たきりになっている人は一人もいない。たとえ肺炎になっても内服薬が処方される程度で注射もしない。過剰な医療は施さず、無理な延命治療をしない、胃ろうや無理な延命治療は、むしろ虐待。

下記、議員インターンシップ 大学生1年生 山田夏美さんの感想です。

人にとって、その人自身が満足のいく死に方が私は一番の幸福だと思っています。家族が延命を望んだとしても、それは他人の意思であって、その本人が幸せだと感じられなければ終わりは本人にとって辛いものとなると思います。終わりよければすべてよし。この言葉が最期の時に考えるべきであり、本人にとっての最期を考えてあげることが日本には必要だと感じています。

そうした考えの中で、スウェーデンのお酒を飲むことができる点や散歩など個人の尊重がされる仕組みは私が望む最期へのステップとしてとても素敵だと思います。また、国を一つの家族と考えることで、税金の使い方がとても上手く、その結果寝たきり老人がいないことに繋がっていくという良い循環がスウェーデンにはあると思います。介護士がこれからさらに必要になる日本にも取り入れられたら…と思いますが、日本では税率を上げることが難しく、まだまだ時間はかかりそうだと思いました。日本では税金の使い方などに国民から疑問や不満、不信感など負のイメージが強く、
負のイメージ→税率への不満→国からの支援の減少→不信感 という悪循環から抜け出さなければいけないと思います。

スウェーデンでは認知症になっても個人の意思を強く持ち、尊重してもらえる、本当の介護の形態ができているのだと思います。日本では個人の意思がないかのように扱い、家族や介護者が決めてしまう。その結果当の本人はひたすら受け身になるという本当の介護ではない形が根強くあると感じます。そうした形を自分の意識から変えることが今、私にできる小さなことだと感じました。

あまりこういう発言はいけないと思うのですが、若い人が日本のことを考えている発言には、やはり感動してしまいます☆

p.s.
現代ビジネスの記事には理想的なことが書いてありますが、世界の不況やEU危機の打撃を受けて、国家の歳入が減り、歳出が増大する中で、スウェーデンもこれまでの福祉政策を維持できる状態では無くなってきているという噂もあります。他人の芝生は青く見えがちなので、とらわれすぎず、日本の現状をよく見て将来像を考えていきたいですね。

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